シュルレアリスム

思ったこと、出来事、本の感想

爪が指の肉に食い込む「陥入爪(かんにゅうそう)」

私は小さい頃から陥入爪の常連だ。

巻き爪というわけではないが、爪が横爪でいわゆる"百姓の手"だ。

爪を切るときに深爪をしてしまい、爪の根っこを引っ張って取ってしまうことがある。

その引きちぎった爪が切っ先となり指を傷つけ、陥入爪になる。

これをずっと繰り返してきた。

 

近所の整形外科医はすぐに切開したがるので、足の親指に麻酔→切開して膿を出す

という地獄のような手術を何回もしていた。

指への麻酔注射は大人でも泣き叫ぶほどに激痛で、時には看護師さん2人に手を握ってもらい、さながらお産みたいな光景だった。

 

大人になってからは陥入爪になる頻度が劇的に減り、悩みでは無くなった。

理由は仕事を始めたので爪のケアは最低限で済ませるからだ。

私は暇になると身体のあちこちを手入れし始める。

そこで足の爪を深爪するまで切って整える。そして陥入爪になる。

簡単なことだった。

 

そして今現在、私は陥入爪になっている。

もはや自力で膿を出し、消毒し、テーピングをしている。

幸い腫れは治ってきたのと、連休が始まってしまったため医者に罹る必要はなさそうだ。

 

暇は人をとことんだめにする。やはり労働が健康に良い。

 

大学のときの告白された思い出

忘れっぽいので書いとこうかな。

 

その日はご飯を作ってくれるというので好きな食べ物をリクエストした。

既にご飯を作ってくれる間柄だったので付き合うのは時間の問題だったのかも。

インターンシップの活動が終わり、スーツで彼の家に向かった。

間接照明を照らす彼の部屋はいつもより暗かったように感じる。

テレビを見たり、大学のことについて話したり。

23時半。そろそろ終電間際だ。

今までの楽しかった雰囲気が急に神妙になり、そこで告白される。

「好きだよ」

とかそんな感じだったと思う。

付き合おうとかそういった言葉ではなかったと思う。

「私も好きだよ」

と返したと思う。

そこで彼が顔を手で隠して照れはじめる。

私は何を思ったか、彼をベッドに押し倒し、キスしてみた。

キス自体が実に4,5年ぶりなので、やり方は忘れていたが、たぶん舌入れたと思う。

終電の時刻23:53分には急げばまだ間に合う。

私は彼に聞いてみた

「終電逃そうか?」

そしたら彼は頬を赤らめ、再び手で顔を隠しながら

「...うん」

 

 

はー、大学生のころは楽しかったな()

 

自己肯定感で片付けられる世界

私は自己肯定感がとても低い。

理由はわかっている。

 

いつまでも子供の頃の記憶を残しておくのも大人気ないが、

小さい頃ずっと姉から「ばか」呼ばわりされてきた。

姉とは年齢差が5才も開いていて、義務教育下において能力差が出てしまうのは仕方のないことだろう。

料理をしても失敗し、勉強していても絵を書いてもゲームをしてもばかだばかだと邪魔をしてくる。非常に鬱陶しい存在だった。

 

母からも嫌われており、初潮を迎えたことを報告し、流れ出た経血をどうしようか相談したところ

「流しなさい。そんな汚いもの。私の生理用品も勝手に使わないで」

と言われた。娘と母親のバトン渡しを拒否された気分だった。

私は生理が来るたびに保健室からの余りでもらった生理用品を使ったり、

自分のおこずかいで生理用品を買いに行っていた。

尚、それ以降母に相談事を話したことはなかった。

 

ということで味方になってくれるのは父しかおらず、生き方も男頼りの生き方から自分一人で生きて家族を養えるレベルに働くことが正義だという見方に変化し、

件のおかげで女のコミュニティが苦手になった。

父も就職離職を繰り返していたせいか、時折情緒不安定になり、家族を殴った。

 

幼少期も思春期も、安定した基盤で性格を形成することが難しかったと思う。

私が思う自己肯定感というのは、つまるところ安定した基盤での価値観形成のこと。

他者から容易に否定されない世界。対話が通じ、論理的な会話ができる世界。

 

私は対話がしたかった。

なぜ姉は私をばか呼ばわりするのか。その理由を聞きたかった。

学力のことだろうか?それとも別の軸で私がばかだと判断されたのか?

学力の面でいうならば、結局、私のほうが後に偏差値という面で優ってしまった。

 

なぜ母は私の初潮を祝うどころか「汚いもの」と呼んだのか。

鮮血ではなくどす黒い塊が初潮だと認識していなかった?娘の初潮なんか興味がなかった?

姉の頃はどうだったんだろうか。

 

なぜ父は家族を殴っていたのだろうか。

注意ならば口で言えば済む話ではないか?

あれだけ嫌いだった爺さんと同じく家族を殴っていることに気づいて居たか?

 

結局私は、対話の無い世界で人格を形成してしまった。

一方的に何かをぶつけられる人生。

 

こんな人生を繰り返してはいけない。

 

 今、私は自分が望んだ通りの「対話ができる環境」で人生を歩んでいる。

同居人の価値観は今までの否定され続けてきた世界とは真逆で、

「やりたいことやったらいいんじゃない?」としか言わない。

また、やりたいことを話すとなぜやりたいのかを聞かれる。

決して否定することはない。

 

お陰で料理の腕はみるみる上達し、家事への投資も理解してくれたため快適に生活ができ、ストレス無く暮らすことができている。

 

きっかけは大学の頃に付き合っていた、文化的素養が豊富な元彼だ。

彼は料理がとても上手く、友人を作るのが得意で、人をもてなすという技術が誰よりも備わっていた。

チェロはとても音程が歪んでいたが、自信たっぷりに弾くその姿はいままで型にはまった価値観しか持ってなかった私の人生を大きく変えることになった。

 

結局彼に好きな人ができてフラれ、メンヘラと化した日もあったが、

結局は自己肯定感の低さから依存していただけだった。

 

一人暮らしの彼の家に泊まったとき、実家から離れることがこんなにも自由なのかと思い、私は就職したら家を出ることを決意した。

家を出ることが目的だったため、就職先も年収で選んだ。

 

家を出て行った後、結局父が死んだが、あの頃家を出て居なかったら私はまだあの暗くて狭い家で腐った価値観を育て続けて居ただろう。

 

自己肯定感が形成されるのは家だ。

家で自己肯定感が培われない場合、環境を変えろ。

友人や恋人の家でなくとも、ひとり旅で安宿に泊まるでもいい、自由を堪能しろ。

そして家を出る決意を固めるのだ。

 

晴耕雨読こそが人生

しばらくの無職期間を経て、無職というものは自分を律することができる者のみがなれるものだと感じた。

例えば、世のお金持ちの無職たちなんかはどういう風に日々を過ごしているのだろう。

 

私の知り合いは政治活動に積極的に参加し、被災地に思いを巡らせ、弱者に対するボランティア活動に従事している。

政治活動への参加や啓蒙活動については賛否あるが、ボランティアへの参加なんかは人間として理想の生き方だなあと思った。

 

きっと世の無職たちも、会社という組織に属して居ないだけでどこかで働いているのだろうと思う。

それは、地域コミュニティに限らず、例えばネットゲームで初心者相手に颯爽と現れ、武器を渡してくれる上級者や、ギルドマスターもそう、はてブなんかの各種サービスに良いブックマークを提供する人だってそう。

何かしらの働き=役割を果たしているのではないかと思っている。

 

私はそろそろ労働に戻るが、やはり働いていたほうが楽しい。

家でも暇を持て余すよりも忙しい中の合間を縫って娯楽を見つけたほうが楽しい。

 

ただし、雨が降っているときは休みたい。

気圧の影響をもろに受けるので頭がとても痛くなるからだ。

 

雨の日はロキソニンを飲んで読書し、

晴れたら畑を耕しにいく。

 

人間の生き方として、心が健康になるには労働と休息と読書が適度に提供されることではないだろうか。

 

 

自分は一体何を生み出せているのだろう

会社という組織は便利だ。誰もが生産活動に参加できる。

生産活動に参加しながら、社会的な意味での生産力を高めることができる。

来月から働く運びとなったが、それまでの期間をどうしても無駄に過ごしているようでならない。

軽い雑本を買っては読んでいるが、彼らのように自分の人生を1冊の本にまとめることができたらどんなに楽しいだろうか。

いや、1冊の本に値する人生を送っていることが羨ましい。

 

私は小さい頃からすぐに挫折することが多かった。

 

自身満々に描いた友達の似顔絵は、頭身がおかしいということを笑われて以降絵を描くことが恥ずかしく思えてしまった。

美術作品は姉の模倣が多かった。独創性は皆無だった。

 

数学は解けても結局上には上がいた。

勉強は勉強した分だけ父が認めてくれる気がして頑張っただけだ。

頭で理解していないので一問一答を必死に覚えるだけだった。

英語なんかも文法を覚えるのが苦手だったので今でもめちゃくちゃだ。

 

大学は基礎を覚える授業がからきしだめで、応用演習とか、実践演習しかS評価がつかなかった。

かろうじて学外の評価で名前が載ることはあったが、正直アイデア勝負といったところか。

 

 

自分自身で得意としていることは一体なんなんだろうか。

自分で自分をダメ出ししても凹む一方なので、得意なことも書いていこう。

 

イデアを出すことは得意だ。

特にマーケティング的な課題に対して色々な角度からアイデアをぶつけてみることが得意だ。

困っている人を前にするとその力は最大効力まで発揮されると思っている。

ある程度ゴールが決まっていることに対しては得意だと思っている。

前職ではお客さん先の問題に対して内部で話し合ったときに良い案が出せたと思っている。詳しくは書けないので単なる備忘録だ。

 

手を動かすことが得意だ。

料理や手芸、3Dモデリングなんかは勢いで作っているがそれっぽいものができている。

料理に至っては最近やっと小麦粉を使ったレシピに挑戦していてベーグルや餃子の皮を手作りしたり、余った餃子の餡で肉まんを作った。

 

手芸はコースター、ポーチ、バッグとだんだん作るものが大きくなってきて、最終的には服が作れなくて諦めた。正確にはワンピースを一着作ったのだが胸周りの調整が難しくてやめた。

けどたまに友人が私の手作りのポーチやキーホルダーを大切に使ってくれていて、感動する。

あと無職期間中に部屋の小窓のカーテンを作った。まだ腕が慣れているものだと安心した。

 

あとこれは得意なことではないのだけれど、よく道を聞かれる。

身長や顔立ちから、どうやら道を聞きやすいようだ。

日本人、外国人問わず聞かれる。アジア系からヨーロッパ系まで様々だ。

 

もう一つは、私以上の適任者がいない時にリーダーを任されることが多い。

これは不本意なことだけども任された以上成し遂げなければならないという感情になってしまい、だけども、非常に心が疲れるものだ。

 

こんなところだろうか。

本当は得意不得意の外的・内的評価を四象限にして書いたらバッチリなのだろうけど、

今はタイピングをする体力しか残っていない。

 

これから先、何を極めていくかはわからないが、できれば本を一冊書きたいと思う。

色んな失敗をして、色んな辛いことがあったけどなんとか生きていることを誰かに見てほしいだけだとは思うが。

 

そんな動機でも良いのではないか

あおり運転について思うこと

 

 

あおり運転されてさらには難癖までつけてきた男を無事、刑事罰に処したというついーと。

あおり運転、本当に理解不能なのだけれど車に乗ると気が大きくなる人の原理が本当にわからない。

 

私もレンタカーでの旅行中にトラックに煽られた。

どうやら追越車線で抜かしたあとすぐにトラックの前に出たからだという。

ラクションを鳴らされてハンドルがおろそかになり、中央分離帯にぶつかるところだった。

下手すれば大事故になりうることだ。ましてレンタカーなのだ。

 

そもそもすぐに車線変更することがなぜ"煽り"と解釈されるのかが意味不明で

それは解釈する側の思い込みが激しすぎるだけなのでは?と思ってしまう。

よく統合失調症などで思い込みの激しい患者がやれ監視されている電波が送られている

といった姿が映し出されしばし嘲笑されることがあるが、あおり運転も同じ分類だと思っている。正直通院してほしい。

 

「いまあいつに睨まれた」

「クラクション鳴らしたよな?」

「あいつに喧嘩売られた」

 

こんなことを日常で言い出す奴がいたらはたして友達になりたいと思うだろうか?

私なら絶対になりたくない。

ただそれが車乗りの間だと許容されるのが甚だ理解不能だ。

 

昨今高齢者の認知ミスによる事故が取り沙汰されているが、

私は煽り運転者も同じように道路から弾いてほしいと思っている。

 

あの時は命への恐怖で強気に出れなかったが、本来ならば運送会社に怒鳴り込んで賠償請求して然るべきと考えている。 

 

【読書感想】先生の白い嘘/鳥飼 茜 著

 

 kindleセールで1巻が無料になっていたので読んでいたのだけど、

結局最終巻まで買って読んでしまった。

 

主人公の高校教師 原美鈴が友人の夫にレイプされたり女性としての"性"の優劣、根底に潜む不平等を顕現させるストーリーである。

レイプしてくる友人の夫も、幼少期に父親に殴られる母を見て育つなど、暴力の連鎖に蝕まれており、自身の価値観が崩壊していく様が描かれている。

 

女性の性について特徴的だなと思った場面は

原美鈴の友人が典型的な”自分より地味な友人を常に傍に置いておくタイプ”で

レイプといえど意外にも初体験を済ませていた美鈴に対し、

嫉妬に狂って「私の●●の具合って良い?らしいよ?」と喫茶店で美鈴に自慢するシーンである。

 

女の自慢話というのは総じて主観的な評価を全面に出さず、

外的な評価で「私って●●らしいんだよね〜」という言い回しをする。経験則。

この虫酸が走るような表現がとても的確で、女らしい女を表現できていてとてもよかった。

 

詳しくは買って読んでほしい。

 

 

男性、女性の醜さ、人間の醜さについて知りたい人はぜひ。